故郷を想うー「ウクライナ侵攻」から一年

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 前を見つめる女性を水彩とインクで描き、伝統模様から着想を得たビーズ飾りを添えています。

3月になり、日差しが暖かく春を感じる季節となりました。歩けば、木々や草花の芽吹きを見つけて、春の訪れを思う日々です。

2022年にドイツから日本へ帰国を決めた頃、ロシアのウクライナ侵攻が始まりました。私の住む小さな街にも、電車やバスで避難した方々が到着しました。当時は、主に子どもと付き添いの母親、年配の方が中心で(男性や大人は国を守るために残っている)、ドイツ国内でも、早急に避難された方を助ける取り組みが始まりました。私たちも、ベビー用品や食品を集めて届けました。

日本を離れると、「戦」にまつわる出来事を、より身近に感じる機会が増えます。世界はいつもどこかで不安定な場所があり、そこで生活をしている方々はより安全な場所へと避難します。

最初にドイツへ来た頃は、アフリカや中東から100万人を超える難民の方々が、戦火を逃れヨーロッパへ移動していました。街の外れのあちこちにシェルターや簡易住宅が建設され、ドイツ国内でも受け入れに対して大きな混乱が続いていました。それに関連して、多くの悲しいニュースを見聞きしました。

アメリカへ来た頃も、主に南アメリカからの大勢の難民の方々が押し寄せ、また中東・北アフリカ出身の方々への厳しい入国規制が行われた頃でした。私の周りの知人・友人にも、家族が離れ離れになり、会える目途が立たない…と不安な声を多く聞きました。

今でこそ平穏に感じる日々も、しばらく過去をさかのぼると暗く恐ろしい「戦」が続いていました。私が子どもの頃から続けて受けていた、「戦争」に関する授業。時に、地域の方に取材をしたり、戦争を体験した方のお話を聞いたりした中で、皆が口にしていた言葉は「決して繰り返してはならない」でした。

「国」や「民族」というアイデンティティが異なるグループが多数存在する世界で、「衝突」が消えることはないのでしょう。平和を叶えるには、異なるアイデンティティが「共存」することが必須で、「消滅」させることではないはずです。そこで生活をする多くの人々の意思を「無視」した行動は絶対に許されないでしょう。

ロシアのウクライナ侵攻が始まった頃、私たちの住む小さな街にもウクライナから多くの方が避難しました。当時、避難してきた方々(主に子どもや付き添いの母親、年配の方)が、それぞれの受け入れ場所で、新たな生活を始めるドキュメンタリーがありました。故郷を想いながら、新たな言語や文化を学習し始める女性の横顔が印象的で、トップ(一番上)のイラストをスケッチしました。